ランドセルのシャーロック・ホームズ


あれは、小学校の何年生のことだったろうか、
僕らは学校の図工の授業で焼き物を作った。


粘土を円盤状に平たくしたものを土台とし、
別の細長く紐状に伸ばした粘土を上へ上へと
グルグルと巻き上げて、僕らは縄文人よろしく
湯呑みを作ったのだった。


当然1回の1時間ぽっちの授業時間内で完成になど
漕ぎ着けることは不可能なお話しで、成型・素焼き・
彩色・本焼きと、週に一度きりの図工の時間を
数週間に渡って使用して製作することになっていた。


事件が起きたのは、多分クラスのみんなの湯飲み
(全員が湯呑みを作ったのかどうかは定かではない)
の素焼きが終わり、乾燥させるため(あるいは単純に
次の授業まで間が空いただけだったのかも知れない)
に教室の一番後ろにある、ランドセルを入れる棚の
天板の上に全員の作品を陳列していた時のことである。


僕が教室に帰ってくると、なにやら教室の後ろの方に
みんなが集まって騒いでいる。
僕は子供の頃から図体が大きかったので、みんなの後ろから
頭越しに覗いてみると、素焼きの作品のひとつがリノリウム
タイルの上でバラバラになっていた。
そして当時、僕が淡い気持ちを抱いていた丸顔の女の子が
目に手を当てて泣いていた。


みんなが体育の授業に行って、教室の中が無人になっていた
間に、並べてあった完成途中の湯呑みの中のひとつだけが、
床に落ちて砕けていたのだ。
勿論目撃者は無く、犯人は不明だった。


僕は持ち前の正義感(?)と子供の頃からよく読んでいた
推理小説の影響で、シャーロック・ホームズ張りの洞察力を
以って真犯人を指摘した。
(どんな推理をしたのかは忘れてしまったが…)


言い当てられた当の本人は、しばらく呆気に取られていたが、
程なく彼の目からも涙がこぼれてきた。
悪いとは思っていたが言い出せなかったことを告白した彼は、
申し訳なさそうにポツリと謝罪の言葉を呟いた。


僕は悪を暴き、このごく限られた小さな社会に真実を
伝えたはずだった。
それなのにこのランドセルのシャーロック・ホームズ
いたたまれない気持ちでいっぱいになっていた。


子供心に「正義って何だろう」という疑問が湧いてくるのを
抑えることができなかった。


僕の湯呑みはクラスメートの悪ガキにダイス・スタッキングの
壷代わりに散々使われてしまったため、当初巻き上げた高さより
およそ半分の高さに磨り減ってしまった。


僕は、そのちょっと大きめの「お猪口」みたいな湯呑みに
赤とグレーの釉薬を掛け、なんだか熟しすぎたトマトみたいに
なってしまったその湯呑みを母親にプレゼントした。


母は嬉しそうに笑っていた。