DNA


ヒトは進化の過程で情報集積回路を統合型にしない道を選んだ。
進化の過程でそういう道を選んだ種もある。
たとえば蟻やサンゴなどはたくさんの個体同士が情報を
つなげあってひとつの行動をしている。


だがヒトはそれぞれの個体が1代限りで収集した情報の
すべてを破棄し、その代わりにDNAという種の情報を
次世代に残す方法を採っている。


だからある個体が数十年の間に蓄積してきた情報は、
他の個体にほとんどが伝わらないままその個体は死んでいく。


ヒトが次世代に残していく情報は、ヒトがヒトであるための
基本的な情報(DNA)と技術(または製品)だけである。


2002年に亡くなったコラムニストの山本夏彦が書いた
「日常茶飯事」という本の中の「自ろう車」という
エッセイの文章を紹介しよう。


>一方、精神上の遺産は、子孫に残せない。
老荘儒仏ヤソにいたるまで、聖賢は人類を精神の内奥から
救おうとした。
なん千年来試みて、成功しなかったのは、五十にして
天命を知った賢人が死んでしまえば、元の木阿弥、
その子は初めからやり直さなければならない。
やり直して五十になっても、はたして親父の域に達するか
どうかはおぼつかない。
すなわち、精神上の財産は残せないのである。…
(注:山本翁はこのエッセイの中で、技術の進歩による
物質最上主義となりつつある日本を憂いておられ、
とりわけ、世の移り変わるスピードの速さが人類の幸福度と
比例するわけでは無いと説いている。
この持論については他のエッセイにも度々見ることができる。)


まさにその通り。
この非効率的な伝達方法こそが、ヒトがヒトであるための
「個性」を作り上げて行くべき要因だと僕は考える。


どんな個体であっても、ヒトは白紙の状態で生まれてくる。
そこにどんな色を重ねて行くかは64億人が64億通りである。


その「色」は時として自分で選び、時として他人から押し付けられる。
それをヒトは「決断」と呼び「運命」と呼ぶのだろう。