雲霞


雲霞という虫をご存知か。
「ウンカ」と読む。


この時期夕暮れ時刻に、アスファルトの道路の上空1〜2m
くらいの場所に体長2mmほどの虫が柱状の塊になって
舞っているのを見たことがあろうかと思う。


あるいは徒歩や自転車などで、その虫の塊に顔を突っ込んで
しまって閉口したことがないだろうか。


彼奴らはあたかも自分たちが何の攻撃力も防御力も無い
か弱き存在であることを自覚しているかの如く何万という
数で群れ飛ぶ。


遠目で見るとそこに何かがあるとは思えない。
薄っすらと霞が掛かっているように見えるだけだ。
そして気が付いたときには雲霞の群れに顔を突っ込んで
しまっている。


顔を突っ込んでしまった我々の方も迂闊だと言えば迂闊なのだが
先方では避けてはくれないので、雲霞の洗礼をモロに浴びることとなる。


あるものは口に、あるものは目に、残りは髪の毛に、といった
具合でありとあらゆる穴に入って来ては我々を不愉快にさせる。
そして当人達は特攻部隊宜しくあっという間に死んでしまう。


もしも彼奴らの生に何らかの意味があるとすれば、食物連鎖
極々底辺の部分を受け持つが為に存在するとしか思えない。
もしも神様という存在があり、意味があって全ての命を与えて
いるものだとすれば、彼奴らにどんな存在意義を持たそうと
したのだろうか。
ましてや更に十分の一以下の大きさの蚤虱の類や、単細胞生物
受け持つ役割とは?


話は変わるが、パソコンの中でのみ生きている「虫」がいるらしい。


コイツは単純な「プログラム」なのだが、パソコンのモニタの
中で「生きて」いるのだ。
彼は目と一本の腕を持っていて、モニタの中を這い回り、
障害物に遭遇するとその一本腕で障害物を排除するように
プログラムされている。


つまり、行動そのものをプログラムされているのではなく、
行動定義をプログラムされており、目の前の事象に応じて
反射行動を取っているのだ。


それは、小さな昆虫類の行動と同じだ。


では、現実の世界の「虫」とモニタ上の世界の「虫」との
差とはなんだろう。
リアルとヴァーチャルの差だけなのだろうか。
行動定義をプログラムしたロボットは自分の意思を持つように
なるのだろうか。


もしも遠い未来に自分の意思を持ったロボットが完成したとして
先述の一本腕の「虫」はその試作品に当たるだろう。
もしかすると、雲霞という生物も「人類」という完成品を作るために
神様が試行錯誤した結果の「試作品」なのかも知れない。