座らない男
大手町から東西線に乗った。
朝の通勤時間ということもあり、かなり混んでいるのに
三人掛けの座席の真ん中の席が一つだけポッカリ空いている。
その空いている座席の前に、吊り革にぶら下がるようにして
男が立っている。
そう、まさに彼のために用意してあるかのような、
その席を目の前にして、無精髭のその男は苦しそうに吊り革に
両手でぶら下がっている。
まるで、ゴルゴダの丘で磔にされたキリストのようだ。
くるりと踵を返して、二つの膝を折りさえすれば、その尻を
収めることができるスペースが目の前にあるというのに。
男は空席を目掛けて深いため息をついた。
「エリ・エリ・ラマ・サバクタニ…」
そんな呟きが聞こえてきそうだ。
満員電車の中でポッカリと空いた座席は、全てを許すかのような
神々しい光を放っていた。