僕が雨の日が好きなのは、子供の頃を思い出すからなのかも知れない。


小学生の頃、僕は古いアパートに住んでいた。
広島県の東の端に位置する鉄鋼関係の工場で栄えた町だった。
これといった特産品も名勝・旧跡も無い田舎町だ。
そのアパートは1軒分が2階建てになっていて、
それが横に7〜8件連なり、さらにその棟が6つばかり並んでいた。
ホントに申し訳なさそうな「庭」らしきものも付いていた。


庭の周囲には生け垣が植えてあり、1年中青々とした細長い葉を
付けていた。夏には青紫色の実を付け、その汁が洋服に付くと
洗濯してもなかなか落ちなかった。
僕はその葉っぱを毟っては4本を編んでお手製の手裏剣を
作って遊んでいた。
庭の真ん中には枝が全部切り落とされて、丸裸にされた柿の木が
植えてあった。
生きているのか死んでしまっているのかは子供に判別できる
代物ではなかったが、葉も実も付けることは無かった。


庭の両端には小さい花壇があり、あまり手入れをしなくてもいい、
丈夫な草花を選んで父が植えていた。
僕もときどきホースで水を撒いた。
調子に乗って、庭の外の砂利道にまで水を撒いた。


一度、その花壇に植えてあったホウセンカの木を切ってしまった
ことがある。
壊れた傘の柄を金槌で叩いて作った「刀」の切れ味をホウセンカ
試したのだ。
予想以上の切れ味に、つい夢中になって全部切ってしまった。
その時は、さすがに母親にこっぴどく叱られた。


飼っていた三毛猫が出入りに使っていた掃き出しが庭に面していて、
僕は雨の日はいつもその窓際に寝そべって本を読んでいた。


好きな本は、「ガリヴァ旅行記」や「十五少年漂流記」とか、
「ガルガンチュワ物語」や、「注文の多い料理店」や
吾輩は猫である」など、国内外の有名作品を子供向けに易しく
書き直したハードカバーの小説だった。
カラー挿絵入りの百科事典も好きだった。
僕はそういった本を、寝転んで何度も何度も繰り返し読んだ。


掃き出しは床から天井までの窓なので、全部開けると部屋と庭が
つながったような気がする。
雨の日に掃き出しを開けると、雨粒と共に土の匂いが入り込んでくる。
僕はその匂いを吸い込みながら、本から視線を外に移す。
降りしきる雨の粒が向かいの家の黒い壁を背景にして、いつまでも
白い斜線を描いている。
肌寒さに少し身震いをするが、それもまた雨の日の醍醐味だ。


あれから30年も経った今では、もうあの町も変わってしまっている。
当時の風景は、今では見ることができないだろう。


だが、雨の匂いは、今でも同じ匂いだ。