神の見えざる手


人は神が造られた。


旧約聖書にはそう書かれている。
まあ、それはいいだろう。
今日はそこは議題としない。


旧約聖書によると、神は7日間を掛けて地球上の環境を整えてから
アダムをその姿に似せて造られた、と書いてある。
そこを考えると、ただ戯れに人類を造ったとは思えない。
思いつきで造ったのであれば、まずアダムを造ってから、あわてて
諸々の環境を整えて行ったハズだ。


最後にアダムを造ったということは、全てがキチンとした
計画に基づいて進められたという証拠だ。
ヒトを造ることが目的ではなく、地球全体を作りあげることが
最終的な目的だったのではないだろうか。


そう「地球創造プロジェクト」だ。


そのプロジェクトの最終目的地はどこなのだろうか?
計画の中のどのあたりの時期に来ているのだろうか?
まだまだ初旬なのか、それとも終盤に差し掛かっているのだろうか?
そしてそれは正しい方向に進んでいるのだろうか?


ちょっとゾッとする想像をしてしまった。


僕たちが「シム・シティ」で遊ぶように、この地球が神の戯言で
あったとしたら…


「神」と呼ばれる者は実は何億人もいて、その中の一人の「神」が
たまたまここに造ったのが「チキュウ」だ。
そしてその「チキュウ」の住人が僕らだ。
僕らの「神」は、白い髭を長く伸ばした老人ではなく、ビン底メガネの
ハナタレ小学生だ。


去年の誕生日に、お母さんにねだって「チキュウ製作キット」を
買ってもらったのだ。
彼は子供なので「チキュウ」上にどんどん「ジンルイ」が増えている
ことに満足している。
クラスメートのエホバ君が持っている、違う「チキュウ」よりも
「ジンルイ」の数が6億人も多いからだ。


だが最近、彼は「チキュウ」に少し飽きてしまって、たまにしか
様子を見なくなってしまった。
「ヨル」になるとキラキラと輝く「デンキ」も美しいと思うし、
見るたびにウヨウヨと張り巡らされて行く、インターネットの
網目模様が、蜘蛛の巣のようで面白いと思っているのだが、
初めは綺麗なブルーとグリーンだった「チキュウ」が最近
薄汚れて、黒っぽくなってきているのだ。


…少し「ジンルイ」が多くなりすぎたかな。


最近「ダイジシン」や「オオツナミ」を与えて掃除を試みたのだが、
あまり目に見える効果が無かったようだ。
「ジンルイ」が増えると「ウミ」や「モリ」が減っていくことに
彼は辟易しているのだ。


嗚呼、この「神」の忍耐はいつまで持つのだろうか。
願わくば、気まぐれで「リセット」のボタンを押さないように…